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東京ムジーククライス第10回定期演奏会に寄せて vol.1

渡辺祐介<指揮/常任指揮者>より

watanabe_yusuke学生の頃から今に至るまで、バッハの教会カンタータや受難曲等と並んで、ヘンデルの《メサイア》を演奏する機会が多い僕ですが、演奏するたびに思うのは、バッハの音楽が「脳の中を何度も周回してから、体中に染み渡るように迫って来る感動」なのに対して、ヘンデルの、特に《メサイア》は「脊髄反射的に興奮させられる音楽である」ということです。

こう書いてしまうと、いかにもヘンデルの作品の方が底が浅いように思えてしまうかもしれませんが、決してそういうことではなく、バッハにも劣らぬ教養と才能を持ったヘンデルが (それどころか、当時はヘンデルは全ヨーロッパ的な名声を勝ち得ていたわけです)、わざとそのように書いていたということで、それを裏打ちする “音楽的な懐の深さ”があったればこそ、今日に至るまでこの作品は世界中で愛好されているのだと思います。そもそも、刹那的な興奮しか得られぬ作品が、長く残るはずがないのです。

モーツァルトはそのヘンデルを非常に尊敬し、《メサイア》を含めてヘンデルの4つの声楽曲の編曲版を残しています。バッハにも相当な尊敬の念を持っていたようですが、モーツァルトにとってヘンデルの方が、遥かに他人とは思えぬ存在であったのでしょう。恐らく、自分の作品とは作風は違えど、そこに通暁するものは「脊髄反射的興奮」であったからに違いありません。モーツァルトの作品も、頭で延々考え尽くされた後にやっと音符になったものではなく、瞬間的で強烈なインスピレーションに基づいてはいるが、しかし完璧なフォルムで生まれでたものに、僕には思えます。

今回演奏するモーツァルト編曲の《メサイア》は、僕に言わせれば、「出会うべくして出会った」音楽史上最高の才能に恵まれた二人による、奇跡のコラボレーションだと言えます。

《メサイア》の編曲版は他にもたくさん存在しますが、モーツァルトのそれは、ヘンデルの大作に対してガチガチに構えて対峙しているという ものではなく、あたかも過去の自分の作品に接するように、その中を本当に自由に泳ぎ回り、モーツァルト一流の魔法をかけて回っているかのようです。

ベートーヴェンは「バッハはBach (小川) ではなく、Meer (大海) である」という名言を残していますが、モーツァルトにとっての “Meer” は他 ならぬヘンデルであったに違いありません。

ともかく無類に面白い作品です。是非聴きにいらしてください!